「ごん狐」は死を覚悟して村人の家に行った(JBPRESS)
私自身は、新美南吉の創作の意図を想像しました。ごんが撃たれて死ぬという結末を提示することで、どんな善良な人間にも暴力性がひそむことを描きたかったのではないでしょうか。
新美南吉が創作活動を行った1930~40年代は、ご存じのように日本は戦時下にあり、人間の持つ暴力性は切実な問題でした。南吉は、そこに目をそらさず、作家として真摯に向かい合ったのです。
戦時下に作られたのか・・・深い・・・
しかし、ごんぎつねが打たれたのはものすごく辛いのだが、それとは関係なく、なぜか「ごんぎつねの記事をちょろっと目にしただけで涙がとめどなく溢れる・・・
さらに、
「手袋を買いに」(青空文庫)
なんて、中身読んでないのに涙が止まらない・・・
なんでどうして何故なのよ???
なんでこうも切なくなるのだろうか・・・
さみしいのかな・・・
WでもYでもJでも大切にしていれば、間違いなく小学校高学年の子供いたよな・・・
俺は将来子供に童話をきかせるなんてことしてるのだろうか・・・
今のままでは無理・・・
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