ザッケローニさんの攻撃的なサッカーは俺は好きだった。 ただこの一年はずっと不安定で、しかも一番チーム状況、個人状況が悪いときとワールドカップが重なったな・・・
守備がザルなのはわかりきってたことなので、なぜ吉田と今野っつー全く使えないDFと心中したのかそこだけが本当に理解できない・・・
ただ、ホントプレスはまったときの日本代表は面白かったよ・・・残念・・・有難う御座いました。
ザック監督、感謝の退任 言い訳、恨み言一切なく…通訳は涙(sponichi)
退任を表明したザック監督
退任を表明し記者会見するサッカー日本代表のザッケローニ監督
Photo By 共同
ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で1次リーグ敗退が決まった日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督(61)が25日、拠点イトゥでの記者会見で退任を表明し、「全身全霊で(チームの)成長を促すためにやってきた。私を受け入れ、そばにいてくれた方々にありがとうと言いたい」と述べた。敗退に無念の表情を浮かべながらも、引き際に言い訳や恨み言は一切なかった。
選手やスタッフと誠実に向き合い、信頼関係を築いた。記者会見前の昼食時に、目を潤ませながら辞任とこれまでの感謝をチームに伝えた。通訳する矢野大輔さん(33)も大粒の涙を流した。「このチームの監督でいられてうれしかった。もう一度、選べたとしても同じメンバーでいく」と述べると、長友佑都(27)もむせび泣いた。
「負ければ監督の責任、勝てば選手の成果」と伝え、選手に積極性を促してきた。今大会初戦で敗れた後にも選手にわび、チームを立て直そうと懸命だった。その姿は選手の胸を打ち、川島永嗣(31)は「監督のサッカーをピッチで表現できなかったのは僕らの責任」と肩を落とした。
ACミランでイタリア1部リーグ(セリエA)を制するなどクラブでの実績は豊富だが、代表監督は初経験で国外での監督業も初めてだった。すし店に足しげく通うなど日本文化を理解しようと努めた。「恋に落ちた」という日本での冒険が幕を閉じた。(共同)
長友、号泣「外れていいですか」 内田もこらえ切れず… 憔悴のザックJ(ZAKZAK)
サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会で2大会ぶりの1次リーグ敗退を喫した日本代表。各選手は25日(日本時間26日)、イトゥで会見にのぞみ、本田圭佑(28)は神妙な表情で、「一晩では整理がつかない。足りなかったのは覚悟、努力、実力だったかもしれない。厳しい現実を痛感したが、諦められないし、目標も変えられない。自信の出所が間違っていたのかもしれないというところから見直さないといけない。ゼロからスタートして物差し作りからはじめたい」と答えた。
一夜明けても涙で声にならない選手も多く、内田篤人(26)は「4年前試合に出られずにいたが…、ちょっと待ってくれ」とこれまでの苦労を振り返るとこみ上げるものを抑えきれずに会見を中断。
長友佑都(27)も「きのうは眠れなくて、これからどうすべきか考えていた。代表でのキャリアをどうするべきか。この4年間、W杯にかけてきた。すいません。外れていいですか。ちょっとあとで…」と話すと同様に目頭を押さえ、席を外して号泣した。
長友はまだクロスに改善の余地がある・・・まだ4年後期待できる・・・
内田はどうだろうか・・・今大会自分の力を発揮したのは内田と長谷部だけだな・・・
今の本田と香川なら要らない。
しかし本田が自己否定するなんて相当ショック受けてるな・・・本田はミランをやめてでも身体の治療からやったほうがいいんじゃないか・・・心配になるくらい相当に悪すぎた・・・
本田「口だけだった」 散々な結果 これが現実(中日スポーツ)
2014年6月26日 紙面から
◇ブラジルW杯 第13日1次リーグC組 日本1-4コロンビア
日本の攻撃サッカーは、世界の分厚い壁にはじき飛ばされた。決勝トーナメント進出をかけて臨んだ25日のコロンビア戦は1-4の大敗。「目標は世界一」と言い続けてきた本田圭佑(28)=ACミラン=は「口だけだった」と、力の差を痛感。守備的な戦いで16強入りした10年大会からステップアップを目指したが、厳しい現実が待っていた。ザッケローニ監督(61)は任期満了で退任する見通し。
残酷で非情な笛は、コロンビアの大声援にかき消された。本田はがっくりと腰を折り、屈服した。両手を膝についたまま顔を上げられない。現実を直視できず、放心したようにピッチ上をさまよい歩いた。精も根も尽き果てた顔だった。
「これが現実。無念の一言。それ(1次リーグ敗退)を招いたのは自分自身。全てを受け入れる必要がある。優勝とまで言って、この散々な結果。自分たちが未熟すぎた。もう敗者だから、何を言っても意味がない。希望を最後に見せたかったけれど、本当に口だけで終わってしまって、非常に残念で申し訳ない」
前半終了間際。右サイドで内田からパスを受けると、本田は独特のリズムでドリブルを始動。相手に向かいながら、左へ持ち出すと、ゴール前の岡崎の頭へピタリと合わせた。起死回生の同点アシストだった。
本田は中盤で起点になり、攻撃を操った。体の強さを生かしながら、対等以上に渡り合った。リスクを負ってでも、ゴールへ向かい続けた。
その一方で、コロンビアは球が集まる本田を当然のようにターゲットにしていた。後半10、37分の失点劇をさかのぼれば、本田が球を奪われた局面が始点だった。1人だけ絶対的な存在であったがゆえだった。
南ア大会後、本田は「世界一」を公言し続けた。仲間を鼓舞し、本田しか描けなかった目標を、チームとしてリアルな目標として意識させた。
2011年9月。本田は右膝に重傷を負い、スペインで手術を受けた。まさかの長期離脱。本田自身が最も苦しい状況にあった時、長友、岡崎らの盟友にこんな言葉を残したという。
「俺は、絶対に世界一になりたい。なる。一緒にやろうや」
木っ端みじんに散った。ただ、すべては真っ向から勝負に打って出たからこそ、見えた現実であり、突き付けられた力量差である。
「俺はこの生き方しか知らないし、自分らしく生きる、生き続ける。少なくとも、明日からもサッカーができるチャンスがあるというのはすごく幸せなこと。感謝しないといけない。強気しか、僕には道はないと思う」
敗れはしたが、敗北の美学にも似た信念までは砕け散ってはいない。「また一から精進して」。憔悴(しょうすい)はしていたが、本田の両眼は力強さを失ってはいない。 (松岡祐司)
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